2009年11月18日水曜日

修学院離宮

10月の終わり、フランス人研究者の観光の供として訪れた際に
ことのほか気に入り、11月半ばまた訪れることにした。

それほど強い印象を残したのは、桂離宮ほどはよくないだろうという、事前の期待値が低かったことと、その日が良く晴れた秋の好日だったこともあるけれど、修学院離宮そのものの魅力であることは言うまでもない。

桂離宮が当時の職人達の技を凝らした美の空間であるとすれば、修学院離宮の魅力はもっとおおらかな、風景美にあるように思う。

遠く比叡山、近くは修学院山を借景とし、
近辺の農家によって今も耕作が行われる田畑にとりかこまれ、
京都ではめずらしく広大な空間に点在する
この離宮(特に上離宮)には、ゆるやかな開放感と、
人の手による自然とのやわらかな調和が実現されている。

自然を模し、調和を図ることで美へと至るそのあり方は、フランス式庭園、ヴェルサイユ宮殿のそれとは正反対だといえる。
(毎回フランスとの比較になってしまうけれど、一緒に行った相手がフランス人だったこともあり…)

この離宮と同じく、17世紀中ごろに作られたヴェルサイユ宮殿の庭園では、自然は人によって「飼いならされ」(apprivoisée)ている。
花や植物はフランス中から集められ、
花壇は幾何学的、小道は直線、池は左右対称である。

また、修学院離宮の建設に当たり後水尾上皇は、
比叡山の借景と、池を作るための水源とを併せ持つこの土地を
14年という歳月をかけて選んだといわれるが、
ヴェルサイユでは、水源のないその土地に
10キロ離れたセーヌ川から大工事により水を引き、
当時としては大変な技術でもって、噴水を作らせている。

どこまでも対照的な両庭園だが、
その両者の自然や美に対する文化的差異に加え、
その政治的立場、そして用途の違いもまた対照的である。

方や実質的権力は徳川幕府に握られ、
風雅の世界に生きていた後水尾上皇の
歌や楽、舟遊びに興ずるための離宮であり、
方やフランス絶対王政の絶頂を迎えていた
ルイ14世の正に宮殿であり、その威光の象徴だからである。

比較はこれぐらいにして、修学院離宮に話を戻すと、
この自然と調和した離宮にも、見事な演出が施されている。

まずは、下離宮から門をくぐって出たところ。
急に空が開け、前には修学院山、遠くには比叡山、
左右には松並木の向こうに田園が広がる。
開放感とともに、山々に色づく木々の美しさにはっとする瞬間である。



そして、上離宮の御成門を通り、
青々とした生垣の間の細い小道を登っていった、
隣雲亭からの景色。
下には浴龍池、そしてそれを囲む、
ところどころ朱に色づいた木々、
そして遠くには北山、岩倉の山々へと続く
広大な景色が広がっていて、
この離宮の魅力を実感することができる。


10月末、好天に恵まれ訪れた際


11月半ば、雲は多いが紅葉が進んだ中訪れた際
(この撮影は修学院山の写真とともにこちら

2009年11月15日日曜日

秋の色

先週辺りから、京都の木々が様々に色づき始めた。

大学へと向かう道の中でも、御池通りのケヤキ並木が黄色から褐色に、
鴨川沿いの桜は紅、橙、茶に染まり、
ある冷たい風の吹く日に桜の枯葉が渦を巻くのを見て、
木枯らしという言葉に改めて思い至ったりした。

大学構内の大銀杏はまだ緑の葉を残しながらも、鮮やかな黄色に、
そして校舎の8階から見える北山やその奥の山々も、秋の色に染まってきた。

それでもやはり紅葉といえば、楓の木が特別美しい。

先日修学院離宮から詩仙堂を訪ねた折も、
あちこちで色づき始めた楓の葉は、
明るい黄緑から、黄色、橙、朱、赤、紅と、
見事なグラデーションを見せていた。

その色合いに加え、光を通すその繊細な葉は、
まるで発光しているように、色とりどりに輝いて見える。

秋の楓のこうした繊細な色づきは、それを足元でやわらかく支え、
色合いの見事な対照を作り出す緑の苔とあいまって、
日本独特のものだと感じられる。

フランスでは木々が大きく、その葉も大きい。
日本のような、小さな空間での繊細な世界とは異なり、
大きく広がった空間でのやや動的な世界として記憶している。

街路樹のプラタナスの葉が黄色や褐色に色づき、
その大きな葉が高い木の枝からはらはらと落ちてきて、
すでに積もった枯葉の上に、かさっと音を立てて落ちたり、
その上をがさがさと音をたてて歩いたり。

それもとても楽しいけれど、
繊細な秋の色の輝きに心がしんとするのは、
京の美しい秋の庭を愛でている時である。

2009年10月19日月曜日

中秋の名月

毎回時期をはずしてしまいますが、今回も投稿が遅れてしまいました。

10月3日は中秋の名月ということで、京都では様々なところで鑑月の催しがありました。その中で私が行ったのは、大覚寺。

この間から嵯峨野が気に入っていたからということと、
大覚寺の大沢の池は9世紀初め嵯峨天皇が観月の舟遊びをしたことで知られる、月見の名所中の名所だからでもあります。
こうした歴史の深さはやはり京都ならでは。
(右の写真の赤い光はその舟の提灯。音もなく、ゆっくりとすべるその舟の歩みに、妙に感心してしまいました)

しかしそれは当然、人が多くなるということで、前回の広沢の池でのような、静かで趣のある観月とはいきませんでした。

それでも、冴え冴えとした月の光と、
衣服の外から伝わってくる冷たい夜の空気に、
秋の深まりを感じた晩でした。


また、以前も書いた北嵯峨の田園風景に上り始めた月は、
大覚寺に至る前で人気もなく、
昔の日本の風景を留めているようで、
素朴な美しさを漂わせていました。

2009年10月7日水曜日

遅ればせながら

秋に入った、9月中旬・下旬ごろの旬な時に書きたかったのですが、つい遅くなってしまいました。

せまりくる台風のせいか、湿気で重くなった空気に、久しぶりにその強い香りを感じたので、遅ればせながらここに「秋の匂い」を投稿しておきます。

秋の匂い

9月の下旬ごろになると、京都の町を自転車で走っていてふいに、
ふわりと甘い匂いに包まれることがある。

どこからともしれず漂ってくる、その強い香りを含んだ空気は、
とろりと少し重くて、暖かいような感じがする。

そして、見えないその花をイメージするせいか、
きらきらした橙色の粒子が辺りを漂っているような気さえしてくる。

匂いが物質として、空気を満たしているというこのイメージは、フランス語の動詞、「embaumer」からきているかもしれない。
「香気で満たす」という意味のこの単語を、
この花の匂いをかぐと思い出す。


ともあれ、京都で秋を感じるものの一つは、この金木犀。
その香りに、暖かさが心地よくなった季節の訪れを感じるのである。

2009年9月27日日曜日

奥深さ

京都に住んでかれこれ9年になるけれど、気の遠くなるほどの昔から、ずっと都であり続けたこの町の歴史、文化、人が積み重ねてきた層は深遠で、いつまでも自分は京都を知らないなと思ったりする。不勉強や、つい日々の暮らしに埋没してしまう好奇心のせいでもあるのだけれど。

今回のそれは北嵯峨、広沢池の西に広がる、里山のような田園風景である。

何年か前に両親に誘われ、この辺りに多い造園業者の桜をみて、この北嵯峨を歩いて、大沢池、大覚寺、嵐山まで行ったことがあった。その時も、京都にこんな広々とした田舎のような風景があるのだなと思ったのだけれど、桜の頃はまだ、山の木々の芽も出ず、棚田にも稲はなく、それほど美しいとは思わなかった。

しかし夏にそこを訪れると、少し離れた山々から、青々とした稲の棚田が続く、規模は小さいけれども美しい里山の風景が広がっていた。夕暮れ時の、実った稲穂のような黄金色の光の中で、その緑は輝いて見えた。

無論この嵯峨野は昔、京の都から離れた田舎の地、実際に里山であったのであり、京都という町が大きくなり、それを取り込んだ形になったのだから、その存在はそれほど不思議でもないのかもしれない。

それでも、例えば故郷の岐阜、田舎といわれるところでも、いや、だからこそか、町の近くでは看板、パチンコ屋、雑多な家々が邪魔をして、美しい田園の風景をみることは難しい。車で言えば、1,2時間は走らないと見られないかもしれない。それがこんなに近くにあることは、私にとっては稀有なことに思え、京都の魅力、奥深さとして感じられるのである。

この美しい里山の、西の山に夕日が沈むと、東の広沢池の上に月が昇る。

平安初期、嵯峨天皇が作ったこの日本最古の庭苑池に映る月を、時代を越えて幾人もの人が愛でたことを思っても、やはりそう思うのである。

(最初の写真はちょっと拝借したものです)


2009年9月6日日曜日

夏の名残

今年は冷夏で、8月の終わりごろには空がすうっと高くなり、涼しい風が吹いて、早くも夏が終わってしまい、夏好きの私としては、さみしいかぎりです。

書きかけていた夏のお祭りのブログを載せる前に、秋がきてしまいましたが、この土日はちょっと残暑が戻ってきて夏の名残を感じさせるので、書きかけのブログもこれに乗じて更新しておくことにします。ということで、続きは「祭りの音」に。