2009年9月27日日曜日

奥深さ

京都に住んでかれこれ9年になるけれど、気の遠くなるほどの昔から、ずっと都であり続けたこの町の歴史、文化、人が積み重ねてきた層は深遠で、いつまでも自分は京都を知らないなと思ったりする。不勉強や、つい日々の暮らしに埋没してしまう好奇心のせいでもあるのだけれど。

今回のそれは北嵯峨、広沢池の西に広がる、里山のような田園風景である。

何年か前に両親に誘われ、この辺りに多い造園業者の桜をみて、この北嵯峨を歩いて、大沢池、大覚寺、嵐山まで行ったことがあった。その時も、京都にこんな広々とした田舎のような風景があるのだなと思ったのだけれど、桜の頃はまだ、山の木々の芽も出ず、棚田にも稲はなく、それほど美しいとは思わなかった。

しかし夏にそこを訪れると、少し離れた山々から、青々とした稲の棚田が続く、規模は小さいけれども美しい里山の風景が広がっていた。夕暮れ時の、実った稲穂のような黄金色の光の中で、その緑は輝いて見えた。

無論この嵯峨野は昔、京の都から離れた田舎の地、実際に里山であったのであり、京都という町が大きくなり、それを取り込んだ形になったのだから、その存在はそれほど不思議でもないのかもしれない。

それでも、例えば故郷の岐阜、田舎といわれるところでも、いや、だからこそか、町の近くでは看板、パチンコ屋、雑多な家々が邪魔をして、美しい田園の風景をみることは難しい。車で言えば、1,2時間は走らないと見られないかもしれない。それがこんなに近くにあることは、私にとっては稀有なことに思え、京都の魅力、奥深さとして感じられるのである。

この美しい里山の、西の山に夕日が沈むと、東の広沢池の上に月が昇る。

平安初期、嵯峨天皇が作ったこの日本最古の庭苑池に映る月を、時代を越えて幾人もの人が愛でたことを思っても、やはりそう思うのである。

(最初の写真はちょっと拝借したものです)


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